2011年10月05日

次に進まない書物

*少しだけでも何かに繋がればとという思いから、僕が宮崎にいて経験し考えたことをこれから書いていこうと思います。

 

内橋克人編
大震災の中で
私たちは何をすべきか
岩波新書

を拝読したく購入させていただいたのは9月25日の南相馬での「ひまわりプロジェクト」へ参加した際でした。
これまでは、震災に関する情報を信じることなく、自分の信念で活動してきました。

そのためもあって、新聞やTVの報道にも疑問は多くも自身の活動を見直すことは少なかったです。

上記書籍を拝読し、44頁からまったく進まなくなりました。

以下、引用いたします。*誤字などあればご指摘下さい。

文明の転換期
池内 了

寺田寅彦は、昭和八年(一九三三)に起こった三陸津波の際に書いた「津浪と人間」(昭和八年)においては、「災害に関する科学知識の水準をもっと高めることが出来れば、その時にはじめて天災の予防が可能になるであろう」と書き、そのための教育が必要と述べていた。「天災は忘れられた頃に来る」の言にもあるように、天災をきちんと記憶し伝承し教育すれば災害を防ぐことができると考えていたのだ。

しかし、最晩年の昭和一〇年に発表した「災難雑考」においては、「あらゆる災難は一見不可抗力のようであるが実は人為的なもので、従って科学の力によって人為的にいくらでも軽減し得るものだという考えをもう一遍ひっくり返して、結局災難は生じやすいのにそれが人為的であるがために却って人間というものを支配する不可抗な法則の支配を受けて不可抗なものであるという、奇妙な廻りくどい結論に達しなければならないことになるかもしれない」と書いている。その理由は、「いくら科学者が防止法を発見しても、政府はそのままにそれを採用実行することが出来ないように、また一般民衆は一向そんな事には頓着しないように、ちゃんと世の中が出来ているらしく見える」という絶望感があったためである。

日本は地震や津波に何度も襲われてきたにもかかわらず、その度に多くの犠牲者を出し、多大な財産を失ってきた。それを見れば、災難は「人為的」なものであると断じざるを得ず、そこから何も学ばない人間について寅彦はシニカルな気分に陥っていたのだ。彼が使った「災難の進化論的意義」や「優生学的災難論」という言葉がそれを物語っている。そして、「このまとまらない考察の一つの収穫は、今まで自分など机上で考えていたような楽観的な科学的災害防止可能論に対する一抹の懐疑である。この疑いを解くべき鍵はまだ見つからない」(「災難雑考」)と、問題を投げかけたまま世を去った。

おそらく、今回の震災や津浪の災害や原発事故が一段落すれば、数多くの「科学的」な安全対策や災害防止策が出されるだろう。しかしながら、それは不充分なまま、あるいは予算を出し惜しんで小手先のまま終わるのではないか、そして再びこのような悲劇を繰り返すのではないか、それが最も危惧される点である。寅彦が抱いた懐疑の淵源もそこにあった。

(以下、続く...)
*現段階でこのページ以降へ読み進めないため。



上記引用させて頂きましたが、この文章を理解するために何度も読み返し、
経験、対策、いかに考えるかを自身に問いています。

繰り返される災害を人災として唱えたことを僕もしっかりと受け入れていきたい。
ブログ解剖など面白いランキングサイトです→blogram投票ボタン
posted by yamakey at 23:00 | 宮崎 ☔
| Comment(0) | TrackBack(0) | 僕の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 家族ブログ 家庭・家族へ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。